躁うつについて

絶頂期 その3 人生で一番楽しいお付き合い時代、苦しい結婚時代    

 

 

愛してた? 結婚式がしたかった?

 

結婚願望の強かった私は、結婚相談所に入会しました。相談所からは、週に2枚顔写真付きのプロフィールが送られて来ます。1ヶ月程して、織田裕二に似ている彼に、一目惚れしました。

最初は電話やメールで連絡を取り合い、やがて、『飲みに行こう』とならそれまでのやり取りで、あまり喋らない人なのかなと思っていたら、お酒が入ると、すごくお喋りになって、彼なら、楽しくお付き合いできると感じました。

お付き合いも1年過ぎた頃、どちらからともなく、結婚しない?ということになりました。無宗教の彼からは『ホテルの式場だけはごめん』と言われ、2人でいろいろ調べていたら、ホールの真ん中に螺旋階段があり、広いお庭もあり、お庭を見渡す大きな窓がたくさんのホールを見つけ、ココだと予約しました。

 

サムシングブルー(花嫁の幸せを願ったおまじないで、聖母マリアの象徴で💙青色💙を結婚式の中に取り入れるというものです)にちなんで、青で招待状、席次表(手作りした)リボン、ブーケの花(ブルースター)、一生に一度しか着ないからと、一着で通しましたが、途中、休憩を入れたほうがいいとスタッフの方から言われ、ドレスを私の案で、アレンジすることにしました。(長いベールを腰のところでリボンにし、髪の毛もチャーミング)        1ヶ月前からの準備は大変でしたが、なにをしても楽しいし、パーティーの当日は、朝から夕方までが物語の主人公の気分でした。

この時が1番嬉しかった。

ブルースターです。ブーケに使いました。

 

やがて、眠れなくなり         病院をぐるぐるまわる

結婚しようかという時、彼から、協力してと言われたことがありました。

1 彼の仕事が営業だから、収入が、多かったり少なかったりするから、◯万でいいから、固定したした収入が欲しい

2 私がてんかんのため、妊娠中は、薬の調整等で、大変だから、子どもはつくらない。代わりに2人で旅行して楽しもう。

頑張って、仲良く暮らしていこうと思いました。

結婚して、徐々に慣らしていこうと思っていたが、1ヶ月経った頃、『仕事は?』と聞かれ、焦リました。元の百貨店の別のテナントにパートで働き始めました。九州初上陸を売りにしていた和惣菜のテナントさんでしたので、百貨店のカード決済が分からないと頼られ、また、系列の洋惣菜屋さんのカード決済も任されていて、かなり、プレッシャーを感じていました。

バートで働き始めて3ヶ月ほどした時、夜眠れない、頭痛が……といった症状が毎日のようにでました。見兼ねた夫は、あらゆる病院に連れて行ってくれましたが、どこでも、CT取って、異常なし、頭痛薬飲んて、安静にしてください。といわれる始末。夫から、しばらく、パート休もうと それからも病院巡りして3ヶ月ほどした時、『うつ病』と診断されました。病気になったのになんの病気かわからない日々から開放されて、ホッとしたのを覚えています。

それから、夫は、仕事が終わると電話して、『お弁当何がいい?』とお弁当を買ってきてくれ、ゆっくり休んでていいよといってくれ、お言葉に甘え、しばらくの間寝てばかりの生活でした。(今、思うと、考えないように、眠気がでる薬がでてたからだと1日泥のように寝てました。)

他にも、いろいろなところに旅行に連れて行ってくれたり、ここの施術をして頂くと頭痛がとりれるとか(手で触れてないのに身体がほわ~って温かくなる その日は眠れる)など ほんとに心配してくれました。

 

結婚2年半から、今週の土日だけ、実家に帰ってくれない→来週全部帰ってくれない→来月帰ってくれないというふうに別居生活が始まりました。私はとにかく現実に気持ちがついていかず、病院に行く以外は以外引きこもりになりました。

現実を受け入れられなかった

別居生活から1年3ヶ月、実家の郵便ポストに記入済みの離婚届けと調停で争うならという紙が入っていました。私は涙がボロボロでて、その時は、思考能力がゼロだったので、父の『記入して、出してこい』の言葉通りにしたが、どうやって、郵便局に行ったのか覚えていません。

今になって思うのは、私も自ら治そうと努力が少なかった。夫は自分のこころを守るために判断したのだろうと

 

経験は宝